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軍艦島 上陸・クルーズツアー

軍艦島への一般客の上陸が解禁されているので、クルーズや見学ツアーへ参加してみたいです。

ちなみに軍艦島は、長崎半島沖に所在する長らく歴史から取り残された無人島でしたが、現在は世界文化遺産に登録され脚光を浴びています。

世界文化遺産の軍艦島

軍艦島については、その名前や画像等で見た建物群の威容から、以前よりどこか惹きつけられるものがありました。

私が見た事がある軍艦島の風景画像は、その多くがモノクロでしたので、賑やかな繁栄が去った後の、寂しげなモノクロームのイメージを抱いていました。 祭りの後の淋しさにも似た、時代に取り残された夢の残滓、大規模な廃墟・遺構、といった印象です。

横から見た島

さて近年、長崎の軍艦島(端島)に次々と朗報が。

  1. 2009年1月、世界遺産暫定リストに掲載

    永年保存への一歩を踏み出しました。

    また、2009年4月、なんと35年ぶりに一般人の島への上陸が解禁されました。

  2. 世界文化遺産入りが濃厚に

    2014年1月、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)への正式な推薦書提出が政府閣議決定。

    2015年5月、ついにユネスコの諮問機関(国際記念物遺跡会議:イコモス)が、
    「明治日本の産業革命遺産」(軍艦島を含む23施設)の世界文化遺産への登録を勧告。

  3. 2015年7月、世界文化遺産に!

    ユネスコの世界遺産委員会(ドイツのボンで開催)にて、
    世界文化遺産への登録が確定しました。

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軍艦島への上陸が解禁されています

島の建物

昔は、海上からのクルーズ観光しか出来なかったのですが、2009年より実際に島内の建物施設等を観て回る事が可能になりました。

世界遺産に登録されたことが追い風となり、今後ますます観光需要が期待されています。

そうなると当然、旅行会社がツアーを企画する訳ですよね。「軍艦島へのクルーズと上陸・見学」を目玉に据えた日帰りツアーの商品が、定期的に提供されています。

どんなクルーズツアーなのでしょう

近畿日本ツーリスト(KNT)が近年に実施したクルーズツアーを参考にしてみましょう。

近年のクルーズ・ツアーの動画。(但し、KNTのツアーではありません。)

近畿日本ツーリストの実施例

2020年(4~9月)実施(予定)

東京羽田発の2泊3日コース(軍艦島上陸クルーズの他、長崎(稲佐山)夜景ツアー、大浦天主堂拝観、グラバー園観光、ハウステンボス観光・宿泊など)を、60,800円~にて提供。

2010年(4~6月)実施

この時のツアーは、食事無しで料金は、ひとり6,980円に設定されていました。
タイトな行程でしたが価値があったのではないでしょうか。

  1. 朝9時に現場の常磐桟橋に集合。
  2. 「軍艦島コンシェルジュ」(専門の案内係)より、基本的知識のレクチャーを受けた後、10時に出発。
  3. クルーズ。11時頃に島に上陸。
  4. 滞在後、11時50分に乗船し帰路へ。
  5. 12時45分頃に常盤桟橋に到着・解散。
2014年(4~9月)実施時

東京羽田発の2泊3日コース(軍艦島上陸クルーズの他、有田焼・池島炭鉱の観光見学など)を、72,800円~にて提供しました。

項目 概要
主な観光箇所 長崎港ターミナルより出港し、航路においては造船所、風力発電所、離島などをデッキから観光出来ます。
上陸について 島の規模は、南北480m×東西160mと決して大きくは無いのですが、安全面や現状保存などの関係上、限定的な箇所を観光します。島の南部にある船着場から上陸し、その周囲が「見学エリア」として定められています。(見学ポイントは3箇所あります。)
所要時間の目安 海上クルーズと上陸に要する時間は、およそ180分間に設定されています。(片道で、約1時間かかるようです。)

年々、観光者を受け入れる整備が進んでいるので、今後もっと様々なバリエーションが提供されるでしょう。

参加条件

このクルーズツアーは、小学生未満の幼児は原則的に参加NGとなっている場合が多いようです。安全面に考慮しているのでしょう。子供にこそ、こういう造型・景色を見せてあげたいと思うのですが。

見学エリアは、それなりの整備がなされているとはいえ、足元はハイヒール系では上陸不可となっています。適しているのは、運動靴やスニーカーなどのウォーキングに適したシューズですね。

(この種の参加条件は、適宜緩和・変更される可能性があります。)

気候が重要なツアー実施条件となるようです

クルーズツアーの実施に関して最も大切な条件があります。
それは当日、次の天候・気候条件を全てクリアしていないと、上陸が出来ないみたいです。

  1. 風速が秒速5メートル以下である事。
  2. 波高が0.5メートル以下である事。
  3. 視界距離が500メートル以上である事。
  4. 旅行社もしくは船長が安全運航基準に達していないと判断した時
  5. 桟橋使用許可が航路事業者に下りている事。

上記の条件を全て満たす日は、
KNTによると、年間に100日程度・・・・なのだそうです。

実施は当日に判断が行われます

軍艦島への上陸&クルーズツアーの実施については、当日に長崎港において判断する事となっています。

もしも上陸実施が見送られた場合、周遊クルーズや長崎市内観光へと予定が変更されます。

天候等が比較的穏やかな時期(春~夏)にツアーが企画されるケースが多いのは、気候や海の状況が安全性に大きく関係しているからでしょう。

あさつき
Asatsuki

長崎港から南西18~19キロしか離れていないので、もっと気軽に上陸出来るのかと考えていたのですが。結構ハードルが高いですね。

(備考)
長崎地元の「やまさ海運株式会社」が運航している「軍艦島上陸周遊クルーズ(150分程度)」は、通年運航となっています。但し、気候条件等によって欠航する場合があるそうです。

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軍艦島(端島)について

1920年代に存在していた戦艦「土佐」に、横から見たシルエットが似ている事から、軍艦島との通称が名付けられたと伝えられています

正式には、「端島」と言います。

端島全景

右が船首、左が船尾。確かに軍艦のようです。

かつては炭鉱で栄えました

端島は炭鉱で栄えた島です。古くは江戸時代の後半には既に石炭が見つかっていたようです。

明治に入りしばらく経ってから、当時の所有者(旧鍋島藩主)が三菱へ売却し、その後2001年に当時の西彼杵郡高島町に無償譲渡するまで、三菱グループ傘下企業の所有となっていました。

現在は長崎市に編入されています。南北480m×東西160m。面積約6.3ヘクタール。

三菱が炭鉱事業に本腰を入れ始めてから、端島は大きな変貌を遂げていく事となります。事業拡大のために作業施設を拡張して言ったのはもちろんの事、作業員を徐々に増員していくことにより居住施設のボリュームも拡大していったのです。

例えば1916年に竣工された、国内初とされる鉄筋コンクリート造の高層アパートがよく知られています。今見ても大きくて迫力がある、立派な建物です。

また、埋め立てが段階的に実施されており、元々の姿より何周りも大きな面積になっている事から、人口島と言われもします。島の周囲は護岸堤防で覆われており、巨大な建築物群とあいまって、まさに軍艦島という通称名にふさわしい威容を呈していました。

島の建物2

国内最古クラスのコンクリート建物群。出来る限り保存されると良いですね。

人口密度世界一から無人島へ

石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれ、エネルギー燃料として大変ニーズが高かった時期があります。軍艦島は、戦後も発展を遂げ、ピーク時の1960年には人口が5,000名を突破し、単なるコミュニティーのレベルを超えた「町」として機能していたようです。

なんと、人口密度が世界一(83,600 人/km2)であった時期もありました。

しかしその後は、石油需要の急増に伴い石炭産業は猛スピードで衰退の一途をたどる事となります。栄枯盛衰と言いますが凄い落差です。

炭鉱は、1974年(昭和49年)1月15日に惜しまれながら閉山しました。閉山時には、まだ2,000名あまりの方たちが生活していたそうですが、誰もいなくなり、とうとう軍艦島は無人島となりました。

観光資源としての軍艦島

閉山後、長らく歴史の表舞台から消え、ひっそりとたたずみ、朽ち果てて廃墟と化しましたが、世界遺産への登録や、一般旅行者への上陸ツアーの通常化がなされた事が契機となり、にわかに脚光を浴びています。

かつて確か、B’zの楽曲「MY LONELY TOWN」のジャケット写真やPVにも登場しましたね。今後、映画やドラマ等のロケで使用される機会が増えていくことでしょう。

観光資源として活用するべく、より安全に上陸や見物が行えるように整備を進める事や、現況の保存作業、広報活動が、どんどん本格化するのではないでしょうか。

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*本ページの概要・情報は変更される事があります。

By Asatsuki (Updated )

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